村上春樹の本をいくつか読んでみた

村上春樹の「好き」「嫌い」はどこで分かれるのか? に関する一考察 - (チェコ好き)の日記  というエントリを読んで「なるほど」と思ったので、その中で紹介されていた下の二冊を読んでみた。我ながら影響されやすいとは思う。

 

雨天炎天―ギリシャ・トルコ辺境紀行 (新潮文庫)

雨天炎天―ギリシャ・トルコ辺境紀行 (新潮文庫)

 

 

パン屋再襲撃 (文春文庫)

パン屋再襲撃 (文春文庫)

 

 

そもそものキッカケ

レキシントンの幽霊」を以前に読んだことがあって、その時に得た村上春樹のイメージは、よく分かんねえ小難しいオッサンというものであった。「沈黙」に込められている直接的な作者の考え方が、表題作の「レキシントンの幽霊」からはなぜかほとんど読み取れず、「沈黙」から感じられたまとまりのようなものが「レキシントン」からは何も感じられなかったせいだろうか。

当然のことながら「よく分かんねえ小難しいオッサン」の本をそれ以上読む気にもなれず(「沈黙」は好きである。念のため。)、なんとなく彼の作品を敬遠していた。ただまあ、暇すぎたのと、本を読む意識の高い大学生的な意識が高ぶりすぎたこと、それと上記のエントリを読んでしまったことで新たに二冊読むことになったわけである。

そんでもって、感想

結論から言ってしまえば、「雨天災天」は面白かった。「パン屋再襲撃」もそれなりに面白かった。

前者については、村上春樹という作家はとどのつまりただのオッサンでしか無く、オッサン以上でも以下でも無いということが分かったのが一番の収穫だと思う。愚痴っぽいオッサンの愚痴だらけのエッセイが、なぜかは分からないけれどとても読みやすかった。

後者については、意味の分からない出来事が起きて、不条理な結末を迎えるまでの一連の「流れ」が面白かった。村上春樹の作品に求めるべきものは、起承転結といった合理的な流れではなくて、あくまでもその途中のプロセスにある雰囲気だとか、小気味よい会話なのかもしれないと思った。でもやっぱり僕は象が消えた理由が知りたい。

 

長文を書くことを継続的にするべきですねと思いました。眠いので今日はここまで。